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執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイによる福音書18章21-35節
「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。7回どころか7の70倍まで赦しなさい。」

花材 アブラナ 彼岸花
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人の悩みの多くは人間関係に由来します。人が集まれば、喧嘩がおこることもありますし、気に食わないことをしたりされたりすることもあり得ます。子どもであっても大人であっても人間関係に悩むのではないでしょうか。そして一旦崩れた関係を回復するのはなかなかに困難です。2000年前の聖書の時代も同じでした。

 弟子の一人がイエス様に聞きました。「何回、友達を赦せばいいのですか。」イエス様はたとえ話で答えます。「ある家来は王様から6000億円の借金をしていた。返済することのできない家来を可哀そうに思い、王様は借金を帳消しにした。その後、その家来が100万円を貸している他の仲間に出会った。しかしその家来は仲間を赦さずに牢屋に入れた。王様はこの家来の対応に怒って牢屋に入れた。」

「赦さなければ、神様から赦されない」といった、交換条件を語られているのではありません。注目するポイントは、イエス様による桁外れの『赦し』です。どれほどの憐れみが、恵みが、愛が注がれているのか。赦しは関係の回復へと繋がります。この神様の赦しを受け入れなさい、そして隣人を受け入れなさいと招かれているのです。



執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイによる福音書18章10-14節 
これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。〈10節)
これらの小さい者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心はない。

花材  ツルニチニチソウ  ばら ルリマツリ
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聖書には人間を『羊』にたとえる物語があります。羊は、おくびょうで視力が悪い生き物です。そのような弱さを抱えている羊は、群れで生活し、羊飼いの声に聞き従う性質をもっています。しかし時に、群れから迷い出て行ってしまうことがあるのだそうです。


100匹の羊を持ち、その内の1匹が迷い出たならば、あなたはどうしますか?と、イエスは私たちに問いかけます。多数決や、「最大多数の最大幸福」で考えれば、99匹の安全確保を第一にするべきでしょう。

 しかし、迷い出た1匹の羊の立場に身を置く時、どれほどの不安だったかと想像するのです。外敵に襲われることも、崖に身を落とすことも、岩に挟まることもあり得ます。99%死が迫っていた。それにも関わらず、

 救い出してくれた方がいる。死ではなく命が与えられた。いったいどれほどの喜びでしょう。


 イエスはこの喜びに連帯し、一緒になって喜んでくれるのです。99匹にとっても他人事とはなりません。迷い出た1匹は、もしかしたら明日の自分の姿かもしれないからです。そのように捉える時、残された羊たちにとっても、羊飼いが1匹を大切にして探しに出かけていくことは、希望の出来事となるのです。


マタイによる福音書 10章40-42節、  11章1節 
この小な者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報い受ける。
花材 ツルニチニチソウ 白百合
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 暦の上では秋ですが、まだまだ暑い日が続いております。熱中症などお気をつけて水分補給を心掛けてください。どうぞみなさん、心身共にご自愛下さい。

 当時のイスラエルも夏場は乾季のため、日差しが大変だったことでしょう。弟子たちは、イエスに励まされつつ派遣され、町から町へと旅していきました。受け入れられる事もあれば、拒絶される事もあります。太陽が照りつける中、長時間歩いて来た弟子たちです。
 「おつかれさま」と労われ、冷たい水をコップ一杯いただけたなら、どれほどの喜びとなったことでしょうか。心も体も生き返ったことでしょう。聖書は語ります。「イエスの弟子という理由で、小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」なんという祝福の言葉でしょうか。
 イエスの弟子をサポートするならば、同等の報酬を受けるようになると約束されています。
 その小さな者とは、イエスの弟子であり、イエス自身であり、全ての小さき者に連帯する神様です。小さな出来事にも関わらず、それは神様の必要を満たし、神様と共に働く行為となり、神様の御業となる。この働きに私たちは招かれているのです。
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