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執筆者の写真杉本拓哉牧師
マタイによる福音書 10章32-39節
自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

花材   柊南天  スプレー菊 玉羊歯
花材   柊南天  スプレー菊 玉羊歯

詩人の星野富弘さんが『いのちより大切なもの』という詩を書いています。「いのちが 一番大切だと思っていたころ/生きるのが 苦しかった/いのちよりも大切なものがあると知った日/生きているのが嬉しかった」


 さて、みなさんは、いのちよりも大切なものがあると思いますか。あなたの使命(生きる目的)、命をかける程に情熱を燃やしているものは何でしょうか。今はまだ、情熱を注ぐ先を探している方もおられることでしょう。


 イエス・キリストは使命を持っていました。イエスの行動は『あなたを愛する』という使命に直結します。


 愛するが故に、出会いに行き・教え・福音を宣べ伝え・癒しました。そして、十字架上で命をかけて救いを成し遂げたのです。聖書は決して命を過小評価しません。一羽の雀の命も大切にされる神様です。あなたの命も大切にされる神様です。イエスの命をかけるほどに、あなたの命は大切にされています。それでは、あなたは何を優先順位の一位にするのでしょうか。イエス・キリストの神様は、ねたむ神でもあります。二番目ではダメなのです。あなたを愛する神様は、あなたから愛されたいと熱心に願っておられます。

マタイによる福音書 10章26-31節

魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。


花材/南天・夏水仙 ・小エビ草

「恐れ」という言葉から、みなさんは何を想像するでしょうか。

私たちは、大雨や、地震、津波などの自然災害を恐れます。いじめ・虐待・周りからの評価・戦争、人に対しても恐れるでしょう。コロナ等の疫病に対する恐れが世界中に広がっています。また、自分自身の変化に対する恐れもあるでしょう。


 主は、私たちを派遣します。各自は派遣先で、預かった言葉を語る使命が与えられます。「屋根の上で言い広めよ」とありますが、イエスの仲間だと知られては迫害されていた時代です。

それでも、「恐れるな」と語られているのです。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」、いのちの主を「畏れよ」と。


 この方は、わずか数百円程の雀のいのちにも寄り添われる方。あなたの髪の毛一本一本をも大切に数えておられる方。そのような神様が、死ぬ時においても、死の先においても、共にいる。だから「恐れるな」、この福音は、人間だけでなく全てのいのちに語られています。だから「恐れるな」、変化を恐れずに、神様に応えてまいりましょう。一人の変化は、水面に投げ込まれた小石のようです。そこから波紋は広がっていくのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師

マタイによる福音書 10章16-25節
話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である

花材  ツルニチニチソウ  鶏頭  アデニウム 
花材 ツルニチニチソウ 鶏頭 アデニウム 

 「派遣」という言葉は、当時のユダヤ文化において全権大使の意味を持っていました。例えば王様から派遣される場合、王様の代理人として、王様の権威を預かって交渉にあたったのです。現代において「派遣」と聞けば、社員という言葉が続くことでしょう。派遣社員は、雇用の不安定さや、福利厚生、給与面においてデメリットがあります。誰によって派遣されているのかが重要です。

 神様はイエスをこの世に派遣しました。そのイエスは弟子たちを派遣します。時に、遣わされる場所は困難な場面かもしれません。それは「狼の群れの中に送り込まれる羊」にたとえられる程です。イエス自身、人々からうとまれ、「悪霊の頭」と呼ばれ、命の危機にあいました。「迫害されたなら、他の町に逃げなさい」と、イエスは語ります。弟子たちが逃げた先で、イエスを宣べ伝えたことにより、キリスト教は広まっていきました。主によって逃げる先が備えられ、命が守られ、派遣されていったのです。

 しかし弟子たちの中には、捕らえられ、裁判にかけられる者もいました。命が脅かされるような極限状態の中においても、主の霊は共にあり、主の言葉も共にあったのです。

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