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執筆者の写真杉本拓哉牧師
イザヤ8:23b、9:1-9:6
ひとりのみどりごが わたしたちのために生まれた。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。

クリスマスツリー
クリスマスツリー

 先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。

 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、驚くべき指導者、力ある神、「永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

 ♰イスラエルはチグリス川・ユーフラテス川と、ナイル川を結ぶ肥沃な三日月地帯の中央に位置しています。土地に恵まれ作物を豊かに収穫できる場所は、他国から見て魅力的な国であるため、イスラエルは幾度も他国からの侵略に苛まれてきました。

 北王国イスラエルがアッシリア帝国に滅ぼされた頃、南王国ユダにて預言者イザヤは、神様からのみ言葉を宣べ伝えていました。その預言は、「北王国イスラエルの地は辱めを受けたが、後にこの地は栄光を受ける。それは神の子が与えられたからだ。」というものでした。既に、北王国イスラエルの人々は奴隷になっており、まるで闇の中を生活するようなものだったことでしょう。しかし、そのような只中に「闇を照らす、大いなる光が輝いた」と、将来の出来事を過去形で語るのです。この言葉はイエス・キリストの誕生によって成就しました。この方は、人の子として、神様の一人子として誕生しました。イエス・キリストは、リーダーとして、力を持った存在として、永遠の父親として、平和の担い手として神様から派遣されました。神様の人々に対する熱心な愛情が、イエス・キリストの誕生=クリスマスという神様の奇跡となったのです。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
イザヤ59:1-2、59:8-60:2
主の手が短くて救えないのではない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が、神とお前たちとの間を隔て、お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。…
主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると主は言われる。…起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。


教会堂 入り口 受付に飾られた 降誕
教会堂 入り口 受付に飾られた 降誕

 クリスマスを待ち望むアドベントの期間、第二週目になりました。クリスマスまでの一カ月間、週毎に一本ずつ4本のロウソクに火を灯していきます。それぞれのロウソクは「希望」 「平和」「喜び」「愛」と呼ばれています。私たちはそれらの光を無くしては、生きていくことが出来ません。私たちには光が必要です。

 いつも光の中を歩んでいきたいと思いながらも、まるで闇の中を歩んでいるような気持ちになることが、人生の中にはあるのではないでしょうか。神様に失望し、諦めてしまいそうになることもあります。しかし、そのような中にあっても神様が私たちを見捨てたのでは無いのです。逆に、私たちが神様から離れ去ってしまったのだと、聖書は語ります。それにも関わらず、神様の恵みは注がれていく。クリスマスとは、神様から遠く離れた私たちのところに光が降ってきた日であり、歴史的な転換点であり、西暦の始まりであり、イエス・キリストの誕生日なのです。私たちは自分自身を見つめた時、光を見出すことは困難です。しかし、イエス・キリストを見出す時、光を受け取ります。『光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。』

 約束の光の中、イエス・キリストの光の中、今週一週間を歩んでまいりましょう。

執筆者の写真杉本拓哉牧師
詩編113:1-9
ハレルヤ。 主のしもべらよ、主を賛美せよ。主の御名を賛美せよ。
今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。

牧師館/入り口に飾られた リース
牧師館/入り口に飾られた リース

 子どもの頃、「高いたかい、低いひくい」と抱かれながらの上下運動が楽しかった思い出があります。現在は、幼児の頭へのダメージがあることが分かり、控えるように注意されておりますが…。年齢を重ねるにつれ、この感覚を失っていることに気付きます。成績や評価が上がることを願い求め、下がりたくはないと思うのが普通の感覚ではないでしょうか。


 聖書は、この価値観も認めつつ、新たな光を差し込みます。諸国の王よりも権威を持ち、時間や空間を支配している主を誉めたたえています。驚くべきことに、そのような高いところに居た方が、低いところに降って来られると語るのです。これは人となられたイエス・キリストを表しています。王子様が身分を隠し、違う国にお忍びに行きました。イエスが共に生きたのは、貧しい漁師たち、社会から排斥された人々、「罪びと」のレッテルを貼られた売春婦や取税人でした。それは諸国の王様から見たら小さな存在、まるで塵芥にも等しく思える存在だったことでしょう。

 しかし、イエスはその一人一人に目を留め、出会い続け、時に癒し、時に食卓を囲み、共に生きる者となりました。王子様との会見も、食卓も、本来特別な相手としかなされない出来事です。そのような特別な存在として、主はあなたと出会うために降って来られたのです。   ハレルヤ!

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